佐賀県伊万里市 精神科・神経科・内科 堀田病院
堀田病院は、佐賀県伊万里市にあり三方山に囲まれ前面は海に面した中心部にあります。
当院は大正11年に同市大川町長野に創設されました。精神障害者を近隣の農家に数名ずつ委託し漢方薬により加療し始めたのが、精神医療への最初の関わりです。
昭和63年、「地域に密着し、開放化された精神科病院づくり」を目指し、建物は格子を全て取り除き開放病棟率72%の4単位で構成された単科の精神病院へ移行。現在、3単位186床は精神科入院基本料15対1と看護補助加算30対1で構成され、また社会復帰活動として精神科デイケア(大規模)と精神科訪問看護、精神科作業療法を取り入れ、常にスタッフが一丸となり精神医療の向上に努めています。

理念・沿革

堀田病院 理念

人間らしさを尊重し、真心と愛情を込めて、心身の健康作りのお手伝いをする。
(HUMAN HOSPITAL=HUPITAL ヒューピタル)

堀田病院 概要

名称 堀田病院
所在地 佐賀県伊万里市立花町2974-5
開設者 医療法人博友会(理事長 堀田 雄介)
管理者 院長  堀田 雄介
TEL 0955-23-3224
FAX 0955-23-6960

堀田病院  沿革系譜

初代 堀田  等興とうこう 旧姓平田。1628年(寛永5年生) 1724年享保9年没(96才)
長崎にて外科法を学ぶ。
二代 堀田  順益 じゅんえき 1657年(明暦3年生) 寛保3年没(86才)
三代 堀田  左京 さ きょう
四代 堀田  休貞 きゅうてい 推定1687年(亨貞3年生) 長崎にて外科法を学ぶ
(推定正徳5年頃)
五代 堀田  元貞 げんてい 土井候之侍医、京都に於いて法橋官職※に叙さる。
68才で没。
六代 堀田  柳菴 りゅうあん
七代 堀田  元三 げんざぶ ※(第一世) 京都に於いて法橋官職※に叙さる。
官職証現存し文化8年頃のものと推定。
1771年(文化8年)没(64才)
八代 堀田  鳴霍めいがく (第一世) 1780年(安永9年生) 漢方医として診療にあたる。
1870年(明治3年)没(90才)
九代 堀田  鳴霍 めいがく (第二世) 漢方医として診療。
1894年(明治27年)没。
十代 堀田  元三 げんざぶ (第二世) 大川野村(現在大川町)漢方医として診療。
1884年( 明治17年)没。
十一代 堀田  政太郎 1862年(文久2年生) 昭和13年12月没。
当時、政太郎家に精神疾患漢方処方箋あり。
十二代 堀田  耕造 明治19年生 大阪医専卒(現大阪大学前身) 大阪府立今宮診療所長勤務
大正9年(35歳)伊万里市大川町長野へ帰郷
大正11年、病院法制定に基づき堀田病院となり精神科病棟設立し10数名収容の入院治療に移行する。
十三代 堀田  博雄 昭和21年院長就任(25床)
昭和39年伊万里市立花町に移転。101床に増床
平成9年10月22日 死亡退職(享年79才) 
平成9年理事長退任(死亡)
十四代 堀田  博 昭和61年院長就任
昭和63年外来管理棟改築
平成元年病棟改築 196床に増床
平成10年理事長就任 
十五代 堀田  雄介 平成27年院長就任
平成30年4月1日 理事長就任 
※法橋官職とは藤原氏が司り、薬を扱う職といわれる。

堀田病院  沿革

大正 11年 伊万里市大川町に精神科病棟設立し入院治療開始
昭和 9年 病院申請許可
昭和 27年 50床に増床 衛生法指定病院となる
昭和 39年 伊万里市立花町へ移転 101床に増床
昭和 44年 140床に増床
昭和 54年 医療法人博友会に法人化
昭和 61年 基準看護取得
昭和 63年 外来・管理棟改築
平成 元年 病棟改築により、鉄格子撤去 196床に増床
平成 5年 精神科訪問看護開始
平成 6年 精神科デイケア開始
平成 7年 新看護体制へ移行
平成 11年 社会復帰支援センター新設
平成 18年 院外処方箋発行
平成 20年 精神科作業療法開始
平成 26年 個室増床 186床へ減床